勝って兜の緒を締めよ

 1615年5月7日、城に火の手が上がった頃には戦いが終わっていた。井伊直孝は兜を脱いで脇に置いて徳川家康に拝謁した。すると家康は床机より立って手を出して
「今日はご苦労だった」
 と労った後、床机に腰掛けてここに来いと直孝を呼んだ。そして
「今夜の戦い、どう思う?」
 と尋ねたため
「すでに城も火の手が上がったので何事もないかと思います」
 と直孝が答えると、手招きして
「そういう考えは良くないぞ。勝っている時こそ夜討ちがあると思え」
 と心構えを説いている。(『三河物語』)

管理人・・・この後に続く文章には『案の定、曲輪に豊臣秀頼がいた』となっていますが、意味がよく分かりません。逃げ出したと思われていて、みんなが油断していたところに秀頼がいたので、油断大敵という締めなんでしょうか?

UPDATE 2014年11月4日
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