三人の計画

 1611年3月28日、徳川家康豊臣秀頼が二条城で対面した際、加藤清正と浅野長政が秀頼の護衛のために付き従った。
 しかし福島正則だけは体調が悪いといって大坂に留まったので、世間の人達は「このような時に仮病をつかうとは」と噂した。
 だが家康は違う見方を語った。
「それは秀頼に何かあった時に、清正と長政が末代まで名を残す働きをして討死し、正則は大坂に残った淀殿を敵の手にかけないために自らの手で殺し、大坂城に火をつけて切腹するということを3人で話し合ったからであろう。これは豊臣秀吉がよく人を見分けて取り立てたからだ」
(『翁物語』)

福島正則の霊廟
長野県上高井郡小布施町大字雁田615の岩松院にある正則の霊廟

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