清正を評す

 徳川家康が慶長年間に上洛し二条城にいた際、独り言をつぶやいた。
「今、日本の侍に加藤清正に続く者はないだろう」
 近くにいた本多正信は眠っていたが、家康の言葉を耳にし目を開けた。
「今、誉められたのは誰のことですか。家康公が言われたのは加藤清正のことですか。太閤の時代に虎之助と言った人物のことでしょうか」
「天下に隠れなき加藤清正のことよ」
 正信は再度尋ねた。
「年寄りなので今のことを忘れてしまいました。殿は武田信玄や上杉謙信、織田信長などよく知られている。他にも名のある諸大名は数多くいるのに、加藤清正ほどの人物は日本国内にいないと言われるのですか。殿がそのように人を誉められたことはなく、加藤殿には非常に名誉なことになるでしょう」
「その清正に西国のことを任せたいが気になることが一つあるので頼みがたい」
「その一つとはなんでしょうか」
「危うい心があって強すぎるのが傷になっている。武田勝頼も危うい心を持って強過ぎたので滅びてしまった。良い侍なのに大きな傷があって惜しいことだ」
 末座に京都の町人達がいたが、その会話の内容を清正に報告した。清正は「さては家康公は私を危うき者と見られているようだ」と解釈し、万事物事に対して慎みを深くして身を保った。

二条城
京都市中京区二条堀川西二条城541にある二条城

 しばらくして清正が亡くなった後、本多正純が父の正信に対して疑問を口にした。
「何年か前、家康公が『日本に加藤清正ほどの武勇もあり、すべてに対して良い武将はない』とおっしゃっていた。当家にも武勇に優れる者が多いのに、どうしてそれを誉めずに加藤清正を世に稀なる者だと誉めるのか疑問です」
「そのようなことが分からないのは、お前の分別が足りないからだ。殿は清正を本当に良い武将と思われていたわけではない。その頃は大坂に秀頼がいたので、清正が西国の者達を自然と先導し秀頼に一味すると幕府にとって非常に困ったことになる。それ故に西国のことは任せることを聞こえるように話されたのだ。そこで清正はもっともなことだと思い思慮ある行動を取るようになった。これはひとえに家康公の知慮が深くて武略のために言われたことだ。それを真に受けて疑問に思うようでは日本の仕置きはできないぞ。何にでも注意を払い、よい手段を考えろ」
 正信は思慮の浅さを叱った。(『翁物語』)

加藤清正像
名古屋市中村区中村町字木下屋敷22の妙行寺にある加藤清正像

管理人・・・正純は本当に二人のくどい芝居を信じたんでしょうか。もしかすると翁物語の作者がくどく書いただけで元は自然な芝居だったので信じたのかもしれません。

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