薄田兼相のこと

 薄田兼相は豊臣秀吉の小姓だったが、背が高く勇気と力があり常に好んで相撲をとった。中国地方・西国の人間で兼相の相手になる者はなく、度々の喧嘩でも2〜3人の相手を胴切り・袈裟切りに切って捨て、又は掲げて数メートルも投げ飛ばしたので、当時の人は『鬼薄田』と言い合った。類は友を呼ぶの諺通り、従う郎党も力量が人を超えているような者ばかりだった。
 兼相は常に広言を吐き「今度、豊臣秀頼公に身の危険が迫った時、譜代・外様の人達で私を超えて高名する者はいないだろう」と自画自賛する程の不敵者だった。(『難波戦記』)

薄田兼相の墓
大阪市天王寺区生玉寺町5ー24の増福寺にある兼相の墓

管理人・・・しかし博労淵の戦いの際に遊女の家で遊んでいたので『橙武者』やら『言葉と行跡が雲泥万里の相違なり』と言われ馬鹿にされています。

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