毒の試し

 後藤基次は大志ある男だった。黒田長政に仕えていたが、長政が筑前に移封される際「辺鄙なところに移動させられると大業がなせない」と筑前行きを嫌い浪人となった。その後、大坂の陣が起こると入城し討ち死にした。
 基次が朝鮮出兵した時のこと。日本軍が初上陸し住民が逃げてみな空家になってしまった。兵達がその家に入ってみると壺の中に酒が残っていた。それを見た誰かが「これは毒の酒だ。われわれを殺そうとする罠だ」と言い出し、その噂が広まって誰も手をつけなかった。
 しかし基次は臆すことなく「何にしても喉が渇いた。もし毒だったら私が最初に毒死しよう」と酒を飲んで「美味い」と舌打ちした。それを見た兵達はわれ先にと酒を飲んで鋭気をやしなった。それから世間は「毒の試し」ということわざを使い始めたと言う。(『甲子夜話』)

後藤又兵衛と妻子の墓
鳥取市新品治町135の景福寺にある後藤又兵衛と妻子の墓

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