死に時

 ある時、本多正信は息子・本多正純
若江の戦いでの木村重成の討死は早かった。翌日の天王寺・岡山での最終決戦まで生き残っていれば豊臣秀頼公を連れて逃げられたのに」
 と話した。すると、これを聞いていた家康は何も答えず不機嫌な顔になった。そこで正信は、弟・正重にどう思うか聞いた。すると正重は一言だけ答えた。
「死にたくて死ぬ馬鹿はいない」(『武功雑記』)

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