主人への思い

 大坂の陣後、長宗我部盛親は京都の小倉堤に隠れていた。譜代家老の中内弥五左衛門は葭原に主人を隠れさせ、大仏前で餅を買っていたが、そこで蜂須賀家の者に捕えられた(この時、弥五左衛門は激しく抵抗して多数の死傷者を出している)。
 そして蜂須賀至鎮のもとに引き出され、直々に訪ねられた。
「私は長宗我部の家臣だ。主人は小倉堤に隠れている」
 弥五左衛門は詳細に居所を教えた。これを聞いた蜂須賀家の者たちは大笑い。
「自分の身はともかく主人の所在を教えるとは卑怯千万だ」
 弥五左衛門は涙を流して語った。
「そうは言え忠節は色々ある。主人は私一人を頼りとして命をつないでいる。私が生け捕られ帰られなくなったら飢えに晒されるだろう。日常生活の才覚に乏しいので、乞食などになって最期は惨めな死に方をするはずだ。それなら今、白状して兵を遣わされ大将として処刑された方がいい。そう思って話したのだ」
 これを聞いた蜂須賀の者達も、もらい泣きしている。(『難波戦記』)

長宗我部盛親の墓
京都市下京区富小路通六条上る本塩竈町534の蓮光寺にある盛親の墓

管理人・・・中内弥五左衛門というのは中内惣右衛門のことだと思います。

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