女性の正体(その2)

 長宗我部盛親の処刑後、盛親の息子は商人に拐かされて奥州に連れて行かれた。その噂を聞いた盛親の妻は一人で東に旅に出て、なんとか奥州に辿り着いた。しかし何の宛もなかったため、取り合えずある商人の家で召使となり暮らした。そこに伊達政宗の妻が遊びに来て盛親の妻を見た際、普通の人物ではないと思い、城に帰った後、政宗に頼んで奥女中にしてもらう。

 月日を重ねたある日、政宗が奥にて饗応し座興で金屏風を皆に見せた。これを見た盛親の妻は大いに嘆き悲しんだ。その理由を尋ねられると事情を白状。
「私は長宗我部盛親の妻です。この屏風は婚姻の時に持たされた物ですが、不思議にここに来たので、思わず昔のことを思い出して不覚にも涙を流してしまいました」
 これを聞いた伊達家の人達は、知らなかったとは言え、ぞんざいに扱っていたのを悪く思い別室に置き丁重に扱った。そして政宗は今までの彼女の経緯を知り、国中に息子についてのお触れを出し、該当する年頃の子供を集めて彼女に確認させた。すると息子がその中におり久しぶりの対面を果たす。盛親の息子は伊達家より知行を与えられ、幕府に敵対した者の子ということで他姓を名乗らされた。それが津田丹後だという。(『韓川筆話』)

蓮光寺
京都市下京区富小路通六条上る本塩竈町534にある盛親の菩提寺・蓮光寺

管理人・・・この頃、長宗我部家の重臣だった久武親直の子も奥州に来て、元親の位牌などを奉っていましたが、そのことが伝わり津田家に取り立てられたそうです。遠い奥州の地でで長宗我部氏の主従が出会うとは…。人の縁は不思議なものです。
 女性の正体と元の話は同じですが、細かいところが違うので読み比べてみてください。

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