徳川軍の忍者
大坂冬の陣で豊臣軍が浪人を募集した際、板倉勝重が甲賀忍者の使い手6〜7人を浪人として潜り込ませた。そして彼らに豊臣軍の策略を報告させる一方で噂をばらまいた。
「誰々は心を徳川に通じ、誰々は大野治長・木村重成・渡辺糺を恨んでいる」
この計略で豊臣軍は疑心暗鬼になり、南条元忠・槇島重利らに疑いの目がかかっている。(『難波戦記』)

鳥取県倉吉市和田54の定光寺にある南条元忠の墓(中央のもの)
管理人・・・南条元忠が濡れ衣というのは、難波戦記に元忠の経歴についてでたらめ書いてあるのであてになりませんが(筑紫南條の領主などと記載)、こういうことが行なわれていたのでしょうね。
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