利政、中立を守る
前田利政は能登一国の大名だったが、関ヶ原の戦いで不穏な動きを見せたため、所領を没収され京都に隠棲していた。大坂の陣では豊臣秀頼から招かれたが応じなかったため、それが徳川家康の耳に入り、その忠節を賞して10万石を与えようとした。
しかし利政は拒否。
「大坂に行かなかったのは徳川家への忠節のためではない。大野治長や渡辺糺などの支配を受ける私ではないからだ。その上、今回の篭城では万に一つも戦功を上げることができそうにない。それらを尊重して能登一国をくれるというならもらうが、そうでなければ受け取れない」
そう答えると、それから何も言わなくなった。(『玉露證話』)

利政が葬られた京都市北区紫野の大徳寺内にある芳春院
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