三河武士

 大坂の陣が起こった際、伊達政宗は大坂に向かう最中に相模の中原で鷹狩をした。だがそこは徳川家の鷹場だったため、政宗が狩りを始めると、土地を管理していた大岡伝左衛門が槍を持ってやって来て激しい口調で責め立てた。
「徳川家の御鷹場で鷹狩をするとは狼藉至極だ。私の首を取って家康様に見せ弁解するがいいでしょう」。
「家康様には私から弁解しておく。あなたの落ち度にはしない」
 政宗はなんとか伝左衛門を宥めて大坂に向かった。
 戦が終わった後に、その時のことを家康に話すと、家康は笑ってこう答えた。
「あの者は譜代の家臣で代々武功の侍だ。三河武士は、かりそめにも主君の命令をあのように尊重するのだ」(『続武家閑談』)

岡崎市にある看板
岡崎市にある看板

管理人・・・これで分かることは徳川家の権威が大きくなり、他の大名はまったく逆らうことができなくなっていたということですね。

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