身代わり如来
大坂冬の陣のある日、松平直政の家臣・神谷富次に豊臣軍の銃弾が胸板に当たった。ショックはあったものの痛みがないため、陣所に戻って弾が当たった辺りを見ると、阿弥陀如来像が出てきた。不思議なことに像に銃弾が当たっており、仏像の胸元から血が流れていた。
「私を助けるために身代わりになったのだ」
富次は感謝しそれ以降、像を大切にした。そして今に至るまで身代わり如来と名付けられ、神谷家の家宝となった。(『妙好人伝』)

島根県松江市石橋町44の順光寺にある神谷家の墓
管理人・・・富次の母親は熱心な浄土真宗の信者だったそうで、それも関係していたかもしれません。
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