二人の甥

 大坂城東に陣していた真田信之の家臣の矢澤但馬・半田筑後守・榊原石見は、激しい敵の射撃に耐えながら徳川軍の中で一番最初に仕寄を付け、両将軍に褒められた。
 これを見た木村重成真田幸村に尋ねた。
「今、仕寄を付けている六文銭の旗印は貴殿の一族ですか。それとも他人ですか。城攻めの方法が巧みである」
「あれは私の兄の陣です。今、兵を指揮しているのは16歳の真田信吉と14歳の真田信政で甥にあたります」
「二人は何色の鎧を着ているのか教えてください。それを兵士達に知らせて狙撃させないようにします。少年にも関わらず陣での働きは前代未聞だ。鉄砲で密かに撃てば武士としての運が尽きるだろう」
 重成は幸村に二人を殺さないことを約束した。(『難波戦記』『大坂軍記』『今木家伝集』)

木村重成の墓
八尾市幸町6−3の幸公園にある木村重成の墓

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