京都の相国寺門前の藪の中に寺子屋を建てて生活している浪人がいた。大坂冬の陣が始まる直前、その男は2~3人に甲冑を着させて出発した。これが長宗我部盛親であることが後で分かった。 最初は数人だった人数が寺町今出川の辻には2~300騎になり、伏見では大体千騎にもなった。人々が不審に思い、京都所司代に訴え出ると板倉勝重は激怒。 「そうと知っていれば討ち捨てたものを」(『槐記』)