大阪城周辺の史跡・平成14年度(2日目)

 二日目は中之島の図書館へ。ここで5時間ほど調べ物をした後、またも史跡に移動しました(本当はもっと調べたかったけど集中力が切れました)。まずは淀殿のお墓がある太融寺へ。ここは梅田から歩いて五分くらいの大坂の中心地にありました。

淀殿の墓

淀殿の墓:最初は鴫野に淀姫神社というのがあってそこに葬られていたのですが、明治10年にそこが陸軍の練兵場となるので、ここに移されたとのこと。移された当初は九層の石塔だったのですが、第二次世界大戦の空襲で焼けて倒壊して六層になったのだそうです。亡くなってまでそんな目に会うなんてなんて幸薄な人なんでしょうか、、、。

 続いては大坂冬の陣最大の激戦地、鴫野今福へ。すっかり地形が変わっていますが、地名だけは当時のが残っていたので、簡単に行くことが出来ました。

寝屋川(旧大和川)

寝屋川(旧大和川):この川の南北で両方の戦いがありました。

今福から鴫野方面を望む

今福から鴫野方面を望む:ここから後藤又兵衛・木村重成隊が上杉景勝軍を射撃した。昔はこんなに狭い川じゃあないですよ。この距離で撃ち合いは近すぎますからね。

佐竹義宣軍が侵攻してきた道

佐竹義宣軍が侵攻してきた道:写真の向こうから佐竹軍が攻撃してきた。これは川幅が変わっているので、正確な場所は違うだろうけど。

現在の今福

現在の今福:なんとなく撮りました。この辺りは昔は湿地帯だったのですが、今ではその面影はありません。

鴫野の戦いの碑

鴫野の戦いの碑:城東小学校の門のところにある碑。この辺りも今福と同じく湿地帯だった。そのため、この小学校の向かい側にある大日寺だけが整備されていたので上杉軍の本陣が置かれていた(可能性があると住職さんが言われてました)。

 これで二日目は終了。


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