藤堂高清

(とうどうたかきよ)

生没年:1585〜1640年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):出雲守

【高虎の弟】藤堂虎高の三男。母は宮崎一郎左衛門の娘。藤堂高虎の異母弟にあたる。妻は仙石秀久の娘。関ヶ原の戦いの際に西軍に人質に出されかけたが服部康次の機転で免れた。1602年に元服し、高虎の旧名・与右衛門を継ぎ5千石を与えられる。大坂冬の陣では真田丸の攻防で銃弾を股に受けるほど奮戦した。

伊賀上野城
高清が城代を務めていた伊賀上野城

【評価されず】夏の陣では伊賀名張の守備を命じられたが、密かに6人の家臣を引き連れて藤堂軍を追い、河内千塚で高虎に参陣を願ったが許されなかった。同じく無断出陣してきた弟・藤堂正高と共に八尾の戦いに許可なしで参加し、50の首級を得る大活躍をしたが、認められず罰せられ伊勢三ヶ野村に蟄居させられる。1619年に罪を許され伊賀上野城代となった。その後、よく宗家を補佐し1640年8月15日死亡した。遺体は伊賀上野の長者屋敷に葬られた。

管理人・・・子孫は代々、出雲を称しています。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典・大坂の役三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年9月3日
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