萩森重綱

(はぎもりしげつな)

生没年:?〜1634年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):又兵衛

八尾城跡
八尾市本町七丁目にある八尾城跡。この遺構を八尾の戦いの際に両軍が利用したと言われている

 宇都宮乗綱の息子。宇都宮氏は伊予萩森城を居城にしたので萩森姓を名乗ったが、1574年に萩森城が落とされたため流浪の身となった。重綱は1587年に伊予大洲城主となった戸田勝驍フ家臣となったが、1594年に戸田家が改易されたため浪人となる。
 1596年に藤堂高虎の家臣となり200石を与えられた。関ヶ原の戦いの際には大坂の藤堂屋敷を守り、その功で加増される。大坂の陣では藤堂良勝に属して従軍し八尾の戦いで首級をあげたが、良勝の首を長宗我部盛親隊に獲られたために恩賞はなかった。1634年死亡。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2002年9月29日
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