戸田隆重
(とだたかしげ)
生没年:?〜1640年/ 身分:徳川宗家の家臣/ 官位(通称、号):藤左衛門

島根県大田市大森町にある主君・大久保長安の墓
名前は左能とも。武田家の家臣だったが滅亡後、豊臣秀吉に仕え代官を務める。その後、大久保長安の家臣となるが、長安の死後に大久保家が改易されたため浪人となった。しかし大坂冬の陣で徳川軍の松平右衛門佐について功があり、徳川家康の家臣となって夏の陣で扶持方渡奉行を務める。
1616年に徳川頼宣の家臣となり、駿河国内で千石と同心30人を預かった。1619年の紀伊移封の際に安藤直次の命で視察のため先に現地入りし、浅野家で代官を務めていた神前中務・金谷次郎四郎・田所季豊から浅野家の支配の方法を聞き報告する。その後、宗入と号して京都に隠居し1640年10月に死亡した。
管理人・・・大久保長安に仕える前に、京都徳善寺に仕えていたそうですが、どういう意味なのか分かりませんした。
UPDATE 2005年4月16日
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