応昌

(おうしょう)

生没年:1581〜1645年/ 身分:興山寺の住職/ 官位(通称、号):?

東塔
高野山にある東塔

 紀伊那賀郡出身の真言宗の僧。高野山文殊院の勢誉に教えを受ける。1606年に駿府に行き、徳川家康秀忠に会う。1608年に興山寺の住職となった。駿府に住んで秀忠の命令で本多正信の猶子(相続を目的としないで、仮に結ぶ親子関係の子)となったが、1613年に勢誉が亡くなったため高野山に戻る。
 大坂冬の陣が起こると奈良や吉野の僧侶を鎮める。1630年に高野山の伽藍諸堂が焼失すると幕府に援助を願い出た。1645年5月24日死亡。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2012年2月9日
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