阿梅

(おうめ)

生没年:1604〜1681年/ 身分:真田幸村の娘/ 官位(通称、号):なし

阿梅の墓
宮城県白石市本町62の当信寺にある阿梅の墓

【敵に助けを求める】真田幸村の三女。母は安岐。紀伊九度山に生まれる。大坂の陣が起こると幸村に連れられて大坂城に入城。
 1615年5月7日、幸村から片倉重長宛に手紙が届く。内容は次の通りだ。『私が東軍を見る限りあなたに及ぶ者はいない。私の運命は夕方には終わるだろう。私には娘がいる。願わくばあなたに託して命を助けてたい』。はたして夕方に重長の陣営に駕籠が二つ来て中を確認すると、二人とも若い娘でその一人が阿梅だった。重長は主君の伊達政宗に請うて連れて帰る。

【敵の妻になる】その後、弟の真田大八と共に江戸屋敷に匿われた。その際に重長の妻に気に入られ、1620年に重長の側室となる。1626年に正室がお梅に妻となるように頼んで亡くなったため後妻となる。1648年に父・幸村を弔うために月心院を建立した。1681年12月8日死亡。

管理人・・・賢妻で内助の功が多かったそうです。写真の阿梅の墓は虫歯の薬になると言い伝えのせいで削られてご覧の通り形が変わっています。木村重成の墓と同じですね。

参考文献奮迅真田幸村―戦国でもっとも強い漢・仙台人名大事典・日本女性人名辞典

UPDATE 2005年6月24日
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