新庄直好
(しんじょうなおよし)
生没年:1599〜1662年/ 身分:常陸麻生2万7千石の大名の子/ 官位(通称、号):新三郎

直好の墓がある東京都文京区本駒込3−19−17にある吉祥寺
新庄直定の嫡男として伏見で生まれる。大坂冬の陣では父と共に酒井忠世に属して出陣し今里の附城を守備した。夏の陣でも父と共に酒井忠世に属し天王寺・岡山での最終決戦で戦う。1615年に駿河守を名乗った。1618年に父が亡くなると常陸麻生2万7千石を継いで大名となり官位も越前守と改める。
1622年に土井利勝の助けで飛び地の下野石橋にあった1万石の領地を常陸土浦に移すことが出来た。その後、大坂城や駿府城の加番、朝鮮通信使の接待などを務め幕府のために尽くす。1662年7月22日死亡。法名・海了寺殿津峰寿玄大居士。東京都文京区本駒込の吉祥寺に葬られた。
管理人・・・吉祥寺は最初神田にあったのですが、駒込に移転されたそうです。
参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国大名諸家譜・戦国人名事典 コンパクト版、ほか
UPDATE 2004年9月20日
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