新庄直定
(しんじょうなおさだ)
生没年:1562〜1618年/ 身分:常陸麻生2万7千石/ 官位(通称、号):越前守
直定の墓がある東京都文京区本駒込3−19−17にある吉祥寺
【敵対】豊臣秀吉の家臣で摂津高槻3万石の大名・新庄直頼の長男として近江で生まれる。母は佐久間盛重の娘。1600年の関ヶ原の戦いで父と共に西軍に付き筒井定次の伊賀上野城を落としたため、戦後は親子共に蒲生秀行に預けられた。
1604年に徳川家康に許されて直頼が常陸麻生3万石を与えられる。1613年に直頼が亡くなると、直定は3千石を弟に分け与え常陸麻生2万7千石を継いだ。
【奮戦】大坂冬の陣では酒井忠世に属して出陣し今里の附城を守備する。夏の陣でも酒井忠世に属し天王寺・岡山での最終決戦で首級13を獲たが、自軍に4人の戦死者を出した。1616年に奏者番となった。1618年死亡。法名・総寧寺殿節岩了忠大居士。東京都文京区本駒込の吉祥寺に葬られる。
管理人・・・直定の叔父である直忠も同じく関ヶ原の戦いで西軍につきましたが、家康に戦前から接近していたので助かっていますし。
参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国大名諸家譜・戦国人名事典 コンパクト版、ほか
UPDATE 2004年9月19日
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