酒井忠利

(さかいただとし)

生没年:1559〜1627年/ 身分:武蔵川越2万石の大名/ 官位(通称、号):備後守

田中城
忠利が城主だった静岡県藤枝市田中にある田中城

【譜代中の譜代】徳川(松平)家の譜代の家臣・酒井正親の三男。酒井重忠の弟。三河岡崎で生まれる。藤枝の戦い、小牧長久手の戦いで活躍し、1590年の徳川家関東移封の際に武蔵川越に3千石を与えられた。
 1600年の関ヶ原の戦いでは徳川秀忠に従って信濃上田城に篭る真田昌幸を攻め、戦後は大津城を守備する。

【川越へ】1601年に7千石を加増され駿河田中城に移封された。1609年に1万石を加増され武蔵川越に移封され2万石の大名となる。大坂の陣では江戸城の守備を勤めた。その後、何度か加増され合計3万7千石の大名となる。1627年11月14日死亡。川越市の源昌寺に葬られた。

参考文献三百藩藩主人名事典戦国人名事典 コンパクト版徳川四天王―精強家康軍団奮闘譜

UPDATE 2004年7月18日
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