松平康長
(まつだいらやすなが)
生没年:1562〜1632年/ 身分:常陸笠間3万石の大名/ 官位(通称、号):丹波守

康長が城主だった長野県松本市丸の内にある松本城
徳川家康の家臣・松平(戸田)忠重の次男。三河の二連木に生まれる。1572年、11歳の時に徳川家康から松平の姓を許され戸田から改姓した。1574年に家康の前で元服し康長という名前を賜る。その後、長篠の戦いや小牧・長久手の戦いで戦功があり、1590年の徳川家の関東移封で武蔵深谷1万石を領した。
関ヶ原の戦いで美濃大垣城を守備し、1601年に上野白井2万石に移封される。しかし白井城が火事に会い、1602年に下総古河に移動した。1612年に1万石を加増され常陸笠間3万石に移封される。大坂冬の陣では榊原康勝や北条氏重と共に玉造口に陣を張った。夏の陣では天王寺・岡山での最終決戦で天王寺口の第三陣に陣を敷き、自身が傷を受けながらも奮戦する。その後、1616年に上野高崎5万石に移封、さらに1617年に信濃松本7万石に移封された。1632年12月12日死亡。法名・運宗智祥雲院。長野県松本市の埋橋の森、丹波塚に葬られた。
管理人・・・康長が松平姓を受けた初めてのケースだそうです。
UPDATE 2004年6月6日
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