北条氏重

(ほうじょううじしげ)

生没年:1595〜1658年/ 身分:下野富田1万石の大名/ 官位(通称、号):出羽守

掛川城
氏重が城主だった掛川城

【北条氏を継ぐ】保科正直の四男。母は久松俊勝の娘(徳川家康の異父妹)。兄・松平忠頼の居城・浜松で育ったが1608年に家康の命令で江戸に移った。1611年に下総岩富1万石の大名・北条氏勝が亡くなるとその養子となって跡を継ぐ。1613年に下野富田1万石に移封された。大坂冬の陣では榊原康勝に属したが、岡崎城に着いたところでそこの守備にまわる。夏の陣では橋本海道を守った。

【出世】1616年に日光東照宮の普請をし、1618年から翌年まで伏見の城番を務める。1619年に遠江久野1万石に移封され、横須賀城や田中城の守備を務めた後、1万石を加増され下総関宿2万石に移封された。1644年に駿河田中2万5千石に移封され、1648年に遠江掛川3万石に移封される。1658年10月1日死亡。静岡県袋井市の上嶽寺に葬られた。

管理人・・・氏重が縁も所縁もない北条氏勝の跡を継ぐ経緯なんですが、これは家康の強い意向があったためだそうです。弟の繁広が氏勝の養子になっており、彼は氏重の家督相続を納得できず1611年6月6日に訴状を持って江戸に向かうんですが、二日後に突然亡くなっています。これは毒殺との説があります。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2004年4月16日
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