横山康玄

(よこやまやすはる)

生没年:1590〜1645年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):大膳

高山右近の像
大阪市中央区玉造2−24−22のカトリック玉造教会にある高山右近の像

 横山長知の嫡男。1604年に前田利長に仕え1千石を与えられた。1614年に長知が前田家を致仕した時、康玄も一緒に去っている。しかし1614年10月に父と共に再び前田家に仕え、大坂冬の陣に従軍した。夏の陣では四宮五右衛門を討ち取り、1616年その功で4千石を加増され家老となる。
 1631年に前田家の謀反の噂が流れると、江戸に向かい土井利勝に申し開きし危機を救っている。その功により更に4千石を与えられ、後に長知の領土の一部を譲り受け、合計1万5千石の領主となった。1645年9月18日死亡。石川県金沢市東兼六町5−6にある松山寺に葬られた。

管理人・・・長知が1599年に前田家謀反の疑惑を解いており親子二代で前田家の危機を救っています。康玄の妻は高山右近の娘でしたが、右近が国外追放の時に離縁しています。ちなみに康玄は大酒飲みだったそうです。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年6月4日
Copyright (C) 2002 Tikugonokami.