京極備中
(きょうごくびっちゅう)
生没年:不詳/ 身分:豊臣軍の一員/ 官位(通称、号):備中

大阪城内にある山里曲輪跡
名前は分からない。京極備前とも伝わっている。京極高次・高知の従兄弟と言われているが詳細は不明。関ヶ原の戦いで西軍についたために浪人となったが、大坂の陣が起こると大坂に入城。大坂夏の陣での落城時、淀殿の依頼で今木源右衛門や浅井井頼ら4人で豊臣秀頼親子の助命嘆願に向かったが、彼らの篭る山里曲輪に火がついたのでそのまま逃亡した。その後は不明である。
参考文献:戦国人名事典 コンパクト版・大日本史料(第十二編15〜20)
UPDATE 2003年12月17日
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