井伊直継

(いいなおつぐ)

生没年:1590〜1662年/ 身分:近江18万石の大名/ 官位(通称、号):兵部少輔

安中城
直継が城主だった群馬県安中市にある安中城

【四天王の息子】井伊直政の嫡男。1602年に父が亡くなると僅か13歳で跡を継ぐ。1603年に徳川家康の命令で彦根城の築城を開始し完成すると佐和山城からそちらに移った。
 1614年に大坂の陣が起こったが、元来病弱だった直継はその時も病床にあったため、弟の直孝が名代として参陣し、直継本人は上野安中で関所の警固についている。

【家督を譲る】大坂冬の陣後、家康は直継が藩主としての責務が果たせないと判断し直孝に井伊家の家督を継がせ、直継は上野安中3万石の大名とさせた。その際、名前を直勝と改めている。安中に移った直継は城下町や関所の整備をし基礎固めを行った。1662年7月11日に遠江掛川で死亡する。法名・霊光院山了照。静岡県袋井市の可唾斎に葬られた。

管理人・・・病弱の割には長生きされていますね。途中で良くなったのか病弱ゆえに普段から健康に気を使っていたので長生きできたのか、、、。

参考文献三百藩藩主人名事典、ほか

UPDATE 2004年5月23日
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