佃又右衛門
(つくだまたえもん)
生没年:不詳/ 身分:福島家の家臣/ 官位(通称、号):又右衛門

現在の広島市内
元は伊勢亀山城主の関氏の家臣だったが、関氏が蒲生氏郷の与力となると佃又右衛門は蒲生氏の直参となった。小倭での戦い、小田原征伐で功がある。1590年に蒲生家が会津に移封されると1100石を与えられた。その頃に氏郷の勧めでキリシタンとなる。氏郷の死亡後に一時浪人するが、福島正則に召抱えられた。
1615年の大坂落城で城から逃げてきた宣教師を保護しこれを逃がす。その後、幕府よりキリスト教からの改宗を迫られたが拒否し、広島で火刑となった。
参考文献:会津人物事典(武人編)
UPDATE 2012年8月9日
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