山川賢信

(やまかわかたのぶ)

生没年:不詳/ 身分:豊臣家の部将/ 官位(通称、号):帯刀

本能寺
賢信が留め置かれた京都市中京区寺町道御池下る下本能寺前町にある本能寺

【伊達家の家臣】最初、富塚小平二と名乗る。伊達家の家臣・富塚信綱の弟。関ヶ原の戦いの際に上杉景勝軍と戦い、安田勘助を討ち取った。その後、出奔し山川賢信と名を変え大坂城に入る。
 大坂冬の陣では後藤基次隊に所属し八丁目口を守備した。夏の陣の道明寺の戦いで奮戦する。

【奇特な二人】翌日の天王寺・岡山での最終決戦でも岡山口で戦ったが豊臣軍が敗北したため、北川宣勝と共に大坂城を脱出して滝本法印という僧の元に身を寄せた。しかし詮索の手が及び始めるとそこを脱出する。
 だが法印が捕まったことを知ると、宣勝と一緒に京都所司代の板倉勝重に自首し本能寺に留め置かれた。だが徳川家康が「奇特な分別をする可愛い奴らだ」と罪を許し、1616年の8月に京都を追い払われ、平戸の松浦隆信の預かりとなった。そしてそのまま家臣になったという。

管理人・・・政宗のスパイとして大坂城に入ったという話もあります。また道明寺の戦いで戦死したという話もありますが、翌日の戦いに参加してその後のことも伝わっているので間違いだと思います。

参考文献大坂の役大日本史料(第十二編15〜20)・仙台人名大事典

UPDATE 2001年11月20日
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