武山重信

(たけやましげのぶ)

生没年:1580〜?年/ 身分:伊達家の家臣/ 官位(通称、号):主殿

伏見城
伏見城

【騒動】伊達稙宗に仕えた武山重成の曾孫。武山重均(重成)の息子。1595年、伊達政宗が伏見邸建造の際、福島正則の家臣・坂野九蔵が馬上で10人余りと一緒に邸中を通り過ぎたので、重均とその従士がとがめて闘いとなった。この時、重信は16歳だったが、九蔵を斬って、遺体を正則の邸前に棄てた。
 正則は怒り狂って九蔵を斬った者を差し出すように言ったが、政宗は聞かず、細川忠興が調停に乗り出した。そこで重均は従者一人の首を正則に差し出したが、彼は納得せず、忠興も怒り出し絶交し不調となってしまった。

【奮戦】1600年7月の白石城攻防戦の時に重信と娘婿・青木勘十郎は競って堀下に迫る。政宗は若い二人が戦死するのを危惧し退くように命令したが、二人はそれを聞かず戦った。10月の最上の役でも奮戦する。大坂の陣にも功があり700石を賜った。

参考文献:仙台人名大事典・三百藩家臣人名事典

UPDATE 2003年7月20日
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