新田義信

(にったよしのぶ)

生没年:?〜1639年/ 身分:伊達家の家臣/ 官位(通称、号):刑部

洞林寺
義信が葬られた宮城県仙台市若林区新寺5丁目4-28にある洞林寺

 松本五郎左衛門の子。新田美濃の養子。1579年に伊達政宗と愛姫が結婚する時、彼女を護衛した。後に茂庭良直の屋敷で樋口某と口論になり彼の暴言が許せずこれを斬る。そのため片倉景綱のところに逃げ、そこから最上領に亡命した。
 5年後、政宗が山城の伏見にいた際、景綱が義信のことを頼んだので政宗はこれを許し伏見城の土木監督を命じる。1596年に志田郡伊賀に100石を与えられ勘定奉行となった。大坂の陣では長柄奉行となり足軽30人を率いて功がある。1639年6月22日死亡。宮城県仙台市若林区新寺5丁目4-28の洞林寺に葬られる。

管理人・・・勇敢で細かいことを気にしない人だったと伝わっています。

参考文献:仙台人名大事典

UPDATE 2003年8月30日
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