馬場親成

(ばばちかなり)

生没年:1570〜1631年/ 身分:伊達家の家臣/ 官位(通称、号):出雲

東昌寺
親成が葬られた宮城県仙台市青葉区青葉町8-1にある東昌寺

 伊達家の家臣。1585年に小手森の戦いで敵の首級を得た。1589年の摺上原の戦いでも真っ先に敵の本陣に斬り込んで敵の首級を得る。その他、人取橋の戦い、須賀川の戦いでも功があり、1600年の白石城攻防戦では先鋒を務め領地を加増された。大坂の陣でも功がある。
 1628年に自分の領地である伊具郡筆甫の住民が相馬の住民と山林を争い幕府に訴え出た。そこで親成は自分の住民を弁護して勝訴。1631年2月2日死亡。宮城県仙台市青葉区青葉町8-1の東昌寺に葬られた。

管理人・・・同僚の佐々木元綱と仲が悪かったそうですが、後年、元綱がそのことを悔いて謝って親成と親友となった・・・と参考文献に載っていたのですが、仲が悪くなった原因も悔いた理由も書いてありませんでした。

参考文献:仙台人名大事典

UPDATE 2003年9月2日
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