小田辺茂成

(こたべしげなり)

生没年:1599〜?年/ 身分:伊達家の家臣/ 官位(通称、号):主殿

 小田辺勝成の息子。大坂冬の陣の際、父・勝成に従軍を願い出たが伊達政宗からの命で断られたため、密かに大坂へ行き人を通して勝成にもう一度願い出る。しかし勝成は政宗に「息子が命に背いて来たので検使を送って自害させてほしい」と願い出る。
 政宗はこれを止めて茂成を呼び、その心意気を褒め陣袍(陣で着る上着?)を与えた。夏の陣にも従軍して功があり500石を与えられ江戸脇番頭となる。忠宗の代に600石となった。しかしのちに茂成の推挙した大越太左衛門がキリスト教の信者だったので禄を没収される。

参考文献:仙台人名大事典・三百藩家臣人名事典

UPDATE 2003年7月4日
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