後藤寿庵

(ごとうじゅあん)

生没年:1577?~1638?年/ 身分:伊達家の家臣/ 官位(通称、号):寿庵

【キリシタン】出生は不明。葛西家の家臣・岩淵秀信の息子とも蒲生氏郷の家臣・後藤喜三郎の息子とも言われている。小田原征伐後、葛西家が改易になると九州に落ち延びてキリシタンになり、さらに五島列島の宇久島に隠れ住んで後藤を姓としたという。
 1612年に田中荘助の推挙で伊達政宗に仕え1200石を与えられた。大坂の陣に従軍し鉄砲隊60人などを指揮する。

【逃亡】寿庵の領地・福原はキリスト教布教の地となりアンゼリス・ガリバリヨ神父を中心に布教活動をした。だが1620年に伊達家は幕府の命でキリスト教を禁止したためガリバリヨ神父や寿庵は伊達家の領地を脱出。ガリバリヨ神父は途中で捕らえられて処刑されたが寿庵は南部領に逃げ延び1638年に死亡した。

管理人・・・水利家としても有名な方で領地の水の便が悪かったので、自分で機械を発明して胆沢川から水を引いて平野を肥沃にしたそうです。また亡くなった年には異説あります。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版三百藩家臣人名事典

UPDATE 2003年7月6日
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