朴澤重永

(ほうざわしげなが)

生没年:1585〜1680年/ 身分:伊達家の家臣/ 官位(通称、号):加賀

 朴澤家永の息子。朴澤家は国分家の重臣。1602年に従妹が病気のため亡くなり葬式に行った際、死体が少し動いたので家の人間はみんな逃げたが重永だけはその場に残った。すると死体が重永に襲い掛かってきたが何とか取り押さえ大声で人を呼んだ。それを聞いた秋保刑部が来て一緒に櫃に投げ込んで閉じ込めた。刑部は重永を褒め刀を与えている。
 大坂の陣では刑部に従い従軍し首級を得て伊達政宗に賞賛された。忠宗が伊達家を継いだ際、秋保川の周辺に領地を与えられ300石を領した。1680年死亡。享年95歳。

参考文献:仙台人名大事典

UPDATE 2003年9月7日
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