伊達定宗

(だてさだむね)

生没年:1574〜1652年/ 身分:伊達家の家臣/ 官位(通称、号):右近

 遠田郡涌谷の領主・伊達重宗の長男。幼名・長松丸。6歳の時、伊達政宗に拝謁し将師の種だと褒められている。白石城攻防戦・大坂の陣で功があり、1万石を加増された。
 江戸城の門の修築でも功があり徳川秀忠から時服(将軍が衣替えの時期に臣下にあげる服)を賜る。遠田郡大貫村館山に隠居し1652年11月29日に死亡した。祗劫寺に葬られる。伊達騒動で有名な伊達安芸宗重は彼の次男である。

参考文献:仙台人名大事典

UPDATE 2003年7月22日
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