山崎家治

(やまざきいえはる)

生没年:1594〜1648年/ 身分:因幡若桜3万石の大名/ 官位(通称、号):甲斐守

若桜鬼ヶ城
鳥取県八頭郡若桜町若桜にある山崎氏の居城・若桜鬼ヶ城

【戦国を生き抜く】山崎家盛の子。山崎氏は六角・織田・豊臣・徳川に仕えて戦国を生き残ってきた大名。1614年10月8日に父が亡くなると、因幡若桜3万石を継ぐ。大坂冬の陣では200の兵を率いて出陣し、中之島を担当している。
 夏の陣では池田利隆軍に属して戦い、首級6つを獲っている。1617年に備中成羽3万石に移封され、新田開発などに力を注いた。

【島原の復興】1639年にはその手腕を買われて、島原の乱で荒れ果てた肥後・天草富岡4万石に移封。この時、天草は乱の直後で領内の2〜3割の田畑が耕す人がいないという悲惨な状態だったと言われている。
 1641年、富岡城の修築が終わると讃岐丸亀5万3千石に移封される。丸亀では廃城となった丸亀城を再築し、城下の整備をしている。1648年に死亡。丸亀の寿覚院に葬られた。

丸亀城
香川県丸亀市一番丁にある丸亀城

管理人・・・家盛は父・片家が朝鮮出兵で対馬にいた時に出来たお子さんです。ですから正室の子じゃないんですが、他に子がいなかったので跡を継いでます。その正室の方は池田家の人間で、その関係で大坂の陣では池田軍に属して戦っています。ちなみに父・片家は西軍に属しながら家康に情報を流して、その上、戦後に池田家を通じて家康に謝罪して助かっています。
 天草への移封はかなり嫌だったと思います。何しろ荒れ果てた土地に行かされるんですから。断ったら幕府からどういった罰を受けるか分からないですから行くしかないですが。多分「何年かしたらすぐ別の土地に行ってもらうから」って約束が幕府とあったんでしょうけど。以上、政治力があった山崎家盛さんでした。

参考文献三百藩藩主人名事典戦国大名諸家譜・若狭町史・大坂の役

UPDATE 2002年2月4日
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