相馬利胤
(そうまとしたね)
生没年:1581〜1625年/ 身分:陸奥相馬4万8千石の大名/ 官位(通称、号):大膳亮

利胤が城主だった福島県相馬市中村北町にある相馬中村城
相馬義胤の長男。相馬家はもともと下総の千葉家の出身だったが、源頼朝から相馬の地を与えられ鎌倉時代末期に移動し、そこを地盤として室町・戦国時代を乗り切った名家。
関ヶ原の戦いで義胤が態度をはっきりせずいったんは所領を没収されたが、利胤が幕府への忠誠を誓ったのと伊達政宗のとりなしで領土を安堵された。そのため義胤は隠居し利胤が相馬家の領主となる。
1611年に居城を小高城から中村城に移した。大坂の陣では大坂城まで出陣し、夏の陣では徳川秀忠軍の先陣として奮戦する。1625年9月10日に死亡。福島県相馬郡小高町の同慶寺に葬られた。
管理人・・・利胤は中村城下を碁盤の目のように道を作ったりするなど現在の相馬市の基礎を築いています。また利胤は家臣に陶法を学ばせて相馬駒焼のもとを作っています。
名君で亡くなったときはみんなに惜しまれています。
参考文献:三百藩藩主人名事典・戦国人名事典 コンパクト版・戦国大名諸家譜
UPDATE 2004年2月23日
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