近藤秀用

(こんどうひでもち)

生没年:1547〜1631年/ 身分:上野青柳1万5千石の大名/ 官位(通称、号):平右衛門

龍潭寺
秀用の領地だった静岡県引佐郡引佐町の井伊谷にある龍潭寺

 徳川家康の家臣・近藤康用の息子。秀用は姉川の戦い、三方ヶ原、小田原征伐などで活躍し、上野青柳5千石を与えられた。1614年に相模国内で1万石を加増され小田原城の城番となる。
 大坂の陣に従軍し、1619年に遠江井伊谷1万5千石に移封された。1625年に石見守に叙任される。1631年2月6日死亡。江戸本郷の大安寺に葬られた。

管理人・・・秀用の領地ですが、他の資料では大坂の陣当時にはすでに井伊谷の領主で石見守になっています。当サイトの大名配置図にも井伊谷の大名で載せておいてなんなんですが、それは間違いみたいです。

参考文献三百藩藩主人名事典大坂の役

UPDATE 2004年5月25日
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