土橋平治

(つちはしへいじ)

生没年:不詳/ 身分:浅野家の家臣/ 官位(通称、号):平治

【雑賀】名前は不明。土橋氏は紀伊雑賀の豪族。平治の父・種治は紀伊を去り、徳川家康増田長盛の客将となった。平治は関ヶ原の戦いで長盛から家臣となるように誘われたが、「父の代から恩のある家康とは戦えない」と断っている。

【策略】戦後、浅野幸長に仕え140石を与えられた。大坂の陣が起こると豊臣軍から2人の使者が来て味方になるように誘ってきたが、平治は酒を飲ませて1人を殺しもう1人を追い払った。そして豊臣秀頼からの手紙を浅野家に差し出した。

【浅野家を去る】浅野家の安芸広島移封に従い、1621年には400石を与えられた。だが5000石を与えられるという約束が守られないと怒り広島を去った。そして上方に行き山城淀の松平定綱に仕え500石を与えられた。

管理人・・・弟の泉識坊って人は本多正純の家臣になっています。しかし5000石の約束って…。浅野家も履行できない約束ならしなければいいのに。

参考文献:和歌山県史

UPDATE 2003年3月6日
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