吉田政重(1568〜1628年)

官位・通称:又左衛門・勝五郎
 吉田俊政の嫡男。吉田康俊の従兄弟。長宗我部元親盛親に仕える。1585年8月28日の中富川の戦いで父・俊政が討ち取られると仇を討とうとしたが康俊に止められている。朝鮮出兵では晋州の戦いで敵将・朴好仁を捕まえ、虎退治もしている。大坂の陣が起こると盛親の元に馳せ参じた。
 陣後、福島正則の家臣・梶原氏の娘を娶って梶原姓を名乗っている。のちに土佐の安芸郡安田に戻って医者となり和斎と号した。その際、姓も吉田に戻している。1628年9月4日に死去した。
 弟の正義は山内家に仕え、子孫に吉田東洋がいる。

高知県安芸郡田野町大野台地に建つ政重の墓
吉田政重
UPDATE 2015年1月18日
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