吉田康俊(1565?〜1634?年)
官位・通称:孫左衛門・右近
吉田孝俊の嫡男。長宗我部元親・盛親に仕える。中富川の戦い、引田の戦いに従軍。1585年の四国攻めでは阿波渭山城を守備した。1586年12月12日の戸次川の戦いで元親を護衛して土佐に帰陣している。朝鮮出兵では晋州城攻めに参加した。関ヶ原の戦いにも従軍し盛親を護衛している。
長宗我部家の改易後は山内家に仕えたが、のちに隠棲した。大坂の陣では大坂に入城し盛親の元で戦っている。落城後は松平忠明に仕えて姫路に住み、1634年3月29日に死亡したという。
※詳しくは大坂の陣絵巻の吉田康俊をご覧下さい。
徳島県徳島市徳島町城内に建つ阿波渭山城(徳島城)
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