吉田康俊

(よしだやすとし)

生没年:1565〜1634年/ 身分:長宗我部隊の部隊長/ 官位(通称、号):孫左衛門・右近

徳島城
康俊が守備した徳島市徳島町にある徳島城

【名将の曾孫】吉田孝俊の息子で、土佐及び四国統一戦で活躍した吉田重俊の曾孫。1579年に阿波での戦いで初陣。小松島の戦いで敵に腕を斬られたがそれに屈せず、桑名親勝の危機を救っている。1582年8月の中富川の戦いで戦功があった。1585年の四国征伐では徳島城を守っている。1586年に戸次川の戦いでは、長宗我部元親を護衛して無事に帰還させた。朝鮮出兵では晋州の戦いで戦功がある。

【盛親のために】関ヶ原の戦いでは撤退する長宗我部盛親を守って帰国し、それから家康への謝罪のために上坂する盛親について行き側を離れなかった。長宗我部家が改易された後、山内家に仕えたが、長宗我部家の改易後に起こった浦戸一揆の大将だったという讒言があり、罰せられそうになった。康俊はさまざまに陳謝してなんとか死刑だけは免れて、土佐を立ち退き大和に隠棲する。大坂の陣が始まると大坂城に入り盛親を助けている。落城後は松平忠明に仕えて姫路に住み、1634年に死亡した。

管理人・・・とにかく長宗我部家の主要な戦いにはすべて出ていますね。姫路市にお墓があるんでしょうか? ちなみに篭城の際に通称を孫左衛門から右近に改めています。

参考文献長宗我部元親のすべて戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2001年8月31日
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