官位・通称:左京亮 土佐介良城主。横山氏は武蔵七党の横山党の出で、訳あって出家し土佐の寺に入った者がおり、その子孫が介良城主になったという。 道範は1547年の土佐大津城攻めの後、土佐下田城主・下田駿河守と共に長宗我部国親に抵抗したが敗れ人質を出して降伏している。