庄野兼時(生没年不詳)

官位・通称:和泉守
 阿波夷山城主。通り名は庄野和泉守。仁木義胤の次男で仁木家の家老・庄野伊賀守の養子となる。篠原長房の弟・左吉兵衛に仕え、左吉兵衛が1562年に久米田の戦いで戦死すると遺児・鶴石丸を補佐した(詳しくは篠原右京の項を参照)。
 1577年、一宮成祐と共に長宗我部元親に通じ十河存保と戦う。1582年の中富川の戦い後、成祐は三好康長との内通を疑われて殺されるが、兼時は忠節を認められ加増された。
 四国攻めの後、城を追われ土佐に行くが元親より暇を出され浪人となる。

徳島県徳島市八万町にある阿波夷山城跡
阿波夷山城跡
UPDATE 2015年6月27日
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