新開道善(?〜1582年)
官位・通称:遠江守・道善
阿波牛岐城主。名は実綱・忠之と伝わっている。妻は三好之虎(義賢・実休)の娘。新開氏は土肥実平の次子・新開実重がの子孫と伝わり、南北朝の争乱では細川頼之に従い讃岐白峰合戦などで功があって牛岐城を与えられたと伝わるが確かではない。
戦国時代には三好氏に仕え、近隣の桑野城主・東条関之兵衛が長宗我部元親に従うと争いになるが元親の援軍を受けた関之兵衛には敵わず、1580年頃元親に降伏している。
1582年10月16日(9月16日の説もある)、元親から論功行賞に話があると丈六寺に呼び出され謀殺された。謀叛の疑いがあったというが定かではない。
徳島県徳島市丈六町丈領32にある丈六寺の血天井。道善を騙し討ちにした際、飛び散った血のついた縁板を天井に用いたという
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