吉良親実(1563?〜1588?年)

官位・通称:新十郎・左京進
 吉良親貞の長男。妻は長宗我部元親の娘。土佐吉良城主。のちに土佐蓮池城主。剛毅な性格だったという。1576年、親貞が亡くなると跡を継いだ。引田の戦いなどで活躍する。
 豊臣秀吉の大仏建立の際、長宗我部家が木材提出を命じられ久武親直が伐採及び搬出の監督を担当。そこに出向いた親実が、親直が礼をしないことに腹を立て笠を射たことから両者は不和となる。長宗我部信親死後、長宗我部盛親の家督に反対したため、1588年(1589・1590年説有り)10月14日、自害させられる。
 その後、怪事件が頻発したため親実を祀る木塚明神が建てられた。

高知市越前町にある吉良親実屋敷跡
吉良親実屋敷跡
UPDATE 2011年4月20日
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