光明寺(斯波頼兼の菩提寺)

住所:山形県山形市七日町5丁目2ー12

 時宗。1375年、斯波頼兼が山形城内に創建し隠棲した。その後、頼兼の菩提寺となる。戦国時代、最上義光が山形城の二の丸東大手門前に移し、最上家の始祖として手厚く保護した。最上家改易後、山形城主となった鳥居忠政によって現在地に移転させられる。1648年に1760石の御朱印を与えられた。
 寺宝に最上義光が寄進した紙本著色遊行上人絵、彩箋墨書最上義光等連歌巻「賦春何連謌」、絹本著色斯波頼兼画像などがある。

(入り口)

(本堂)

(斯波頼兼の墓)


写真の提供についてはこちらをクリック


専称寺(駒姫の菩提寺)

住所:山形県山形市緑町3-7ー67

 浄土真宗。1483年、蓮如の直弟子・願正が天童市に創建した。1596年、豊臣秀次の側室となったために斬首された駒姫の菩提を弔うため、父・最上義光が山形城下に移す。1905年、日露戦争で捕虜となったロシア人の収容所となった。
 寺宝に絹本著色願正上人像、絹本著色義光夫人像、砧青磁筍節花瓶などがある。

(山門)

(鐘楼。梵鐘には「羽州最上山形 慶長十一年丙午六月吉日 三条住人天下一道仁准之」の銘がある。鐘を造った西村道仁は豊臣秀吉から天下一の称号を与えられた名工である)

(1703年に改築された本堂)

(駒姫の供養塔)


写真の提供についてはこちらをクリック


山寺立石寺(山形城の鬼門)

住所:山形市山寺

 天台宗。860年、清和天皇の勅命を受けた円仁(慈覚大師。松島瑞巌寺や平泉中尊寺などを建立)が建立し、東北でも屈指の天台教学の道場となる。鎌倉時代、北条時頼によって禅宗に改宗されたことがあった。1356年、山形城主となった斯波兼頼が城の鬼門として保護する。戦国時代、兵火で伽藍が焼失。再建後、比叡山延暦寺の法灯を分け与えられ、織田信長の比叡山焼き討ちの際には逆に比叡山に分けている。
 当地方では死者供養のため歯を奥之院納骨堂に納めて卒塔婆や碑を建てる習慣がある。

(対面石。円仁が当寺を開く際、当地を支配していた猟師・磐司馨三郎とこの石の上で対面し、仏道を広める拠点として殺生を止めて山を明け渡して欲しいと頼んだ。感銘を受けた馨三郎は仏に帰依して円仁に協力したという。この石に左手をあてて願いをこめれば良いことに会えると伝わる)

(山門。ここから奥之院に行くことができる)

(鐘楼)

(念仏堂)

(万物供養阿弥陀如来)

(松尾芭蕉の像。この寺で芭蕉は有名な句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだ)

(御神輿殿とこけし塚)

(亀の甲石。小銭に名前を書いて置けば願いが叶うという)

(山寺日枝神社。祭神は大山咋尊)

(清和天皇の供養塔)

(国指定重要文化財の根本中堂。正平年間(1346~1370年)に斯波兼頼が再建し、慶長年間(1596~1615年)に大改修された。ブナ材の建築物では国内最古と伝わる。堂内には比叡山に分けたという通称「不滅の法灯」がある)

(本坊)

感想:雨と時間の都合で奥之院には行けませんでした(T_T)


写真の提供についてはこちらをクリック