住所:山形県山形市七日町5丁目2ー12
時宗。1375年、斯波頼兼が山形城内に創建し隠棲した。その後、頼兼の菩提寺となる。戦国時代、最上義光が山形城の二の丸東大手門前に移し、最上家の始祖として手厚く保護した。最上家改易後、山形城主となった鳥居忠政によって現在地に移転させられる。1648年に1760石の御朱印を与えられた。
寺宝に最上義光が寄進した紙本著色遊行上人絵、彩箋墨書最上義光等連歌巻「賦春何連謌」、絹本著色斯波頼兼画像などがある。
住所:山形県山形市七日町5丁目2ー12
時宗。1375年、斯波頼兼が山形城内に創建し隠棲した。その後、頼兼の菩提寺となる。戦国時代、最上義光が山形城の二の丸東大手門前に移し、最上家の始祖として手厚く保護した。最上家改易後、山形城主となった鳥居忠政によって現在地に移転させられる。1648年に1760石の御朱印を与えられた。
寺宝に最上義光が寄進した紙本著色遊行上人絵、彩箋墨書最上義光等連歌巻「賦春何連謌」、絹本著色斯波頼兼画像などがある。
住所:山形市山寺
天台宗。860年、清和天皇の勅命を受けた円仁(慈覚大師。松島瑞巌寺や平泉中尊寺などを建立)が建立し、東北でも屈指の天台教学の道場となる。鎌倉時代、北条時頼によって禅宗に改宗されたことがあった。1356年、山形城主となった斯波兼頼が城の鬼門として保護する。戦国時代、兵火で伽藍が焼失。再建後、比叡山延暦寺の法灯を分け与えられ、織田信長の比叡山焼き討ちの際には逆に比叡山に分けている。
当地方では死者供養のため歯を奥之院納骨堂に納めて卒塔婆や碑を建てる習慣がある。
(対面石。円仁が当寺を開く際、当地を支配していた猟師・磐司馨三郎とこの石の上で対面し、仏道を広める拠点として殺生を止めて山を明け渡して欲しいと頼んだ。感銘を受けた馨三郎は仏に帰依して円仁に協力したという。この石に左手をあてて願いをこめれば良いことに会えると伝わる)

(松尾芭蕉の像。この寺で芭蕉は有名な句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだ)

(国指定重要文化財の根本中堂。正平年間(1346~1370年)に斯波兼頼が再建し、慶長年間(1596~1615年)に大改修された。ブナ材の建築物では国内最古と伝わる。堂内には比叡山に分けたという通称「不滅の法灯」がある)

感想:雨と時間の都合で奥之院には行けませんでした(T_T)