祭礼に使う作り物を乗せる台車が全部燃えちゃった(防府天満宮文書の大内氏奉行人(岡部興景)書状)

 かなり前に勉強のために読んだが、意訳に苦労した防府天満宮文書の大内氏奉行人(岡部興景)書状を載せてみる。

・原文
来十月当社御祭礼之時、作物台車事悉焼失候、就其当役之儀乗福寺大工新兵衛存知仕候処、彼調迷惑之由候然者於宮山松本一本申請度之由興景迄申候、可為如何候哉、一本採用仕之様御領納候者可目出候、且者又社用にも候欤、前々車木朽損候ヘハ、於当社山木一本給候て致其調候へ共、近年者各頭人自分以了簡相調之由申候、今以雖其覚悟候、悉車失却候之間、如此懇望候、併不准例儀候間、被成御心得候者肝要候、恐々謹言、
大永四年八月廿三日 興景
松崎大専坊御同宿御中

・意訳
 来月の十月にある防府天満宮の祭礼の時に使用する作物(種々の人や物などの形を作りかざった、祭礼などの時の出しもの)を乗せる台車がことごとく焼失してしまいました。それについて製作の役職にある乗福寺の大工・新兵衛は知っており「調達するのは難しいです。それなら宮山(防府天満宮の所有する山)の松の木を一本使いたい」というお願いが私にありました。
 この件はどうしましょうか。もし大専坊が許可していただけるなら嬉しいです。それに松の木は防府天満宮の他の用途にも使えるのではないでしょうか。以前は台車が傷んだ時は防府天満宮の山の木をいただいて修理や新車にしていましたが、近年は頭人(祭礼の世話役)が「自分たちの裁量でどうにかする」と言っています。今もその気持ちはありますが、今回は全ての台車を失ってしまったため、松の木の提供をお願いしたいです。
 しかし先例にないことですので、大専坊にはそのことを理解していただくのが大事です。恐々謹言。

・感想
 読み下しにするのは難しくなかったが、意訳にする際、主述が分からず混乱した。
 出しものを乗せる台車が全て燃えて来月の祭礼に使える車がないという危機。結局、大専坊は許可したのでしょうか。そこは書いてなかったが、許可したと思います。
 先例のことに触れているのは、先例があると次に似たようなことがあった際「あの時、松の木をくれましたよね」となるからだろう。

(防府天満宮)
防府天満宮


長門国のお寺同士の喧嘩(周防国分寺宛の毛利輝元書状)

 最近、勉強のために主に戦国時代の毛利の書状を読んでいる。その中の毛利輝元書状で、周防国分寺(山口県防府市)に出したものを意訳してみる。

・原文
「長府国分寺・律成寺近年不会之由候、今度於当寺漕頂巳前ニ、彼両寺和合之儀被申調、各以随喜法事成就肝要候、尚国司助六(元蔵)可申候、恐々謹言」
八月廿七日 輝元

・意訳
長府国分寺(長門の国分寺。山口県下関市にある)と律成寺(下関市にあったが現在は廃寺)が、近年は不会(不和)である。
 今度、周防国分寺において灌頂(菩薩の位にあって、仏が成仏を約束する意味で行なう仏位受職の儀式)の前に、両方の寺を和合(心を一つにすること。ここでは仲直り)させるための仲裁をしてください。
 各(両方の寺か周防国分寺を合わせて三つの寺)が随喜(心から喜んで。ここでは心を一つにして?)灌頂を成し遂げることが肝心です。なお詳細は国司元蔵が申します。恐々謹言。

・感想
 仲直りできたのかの文書は見ていない。周防国分寺は同じ国分寺繋がりで長門国分寺と親しかったのだろうが、仲裁は大変だったと思う。
 毛利輝元の立場から見ると、寺同士のいざこざは領国の安定支配の妨げになるために仲直りさせたかったのだろう。
 気が向いたら今後も載せていこうと思う。やる気があるのは今だけだと思うが・・・。以上!

(周防国分寺)
周防国分寺